オンラインコミュニティ「おうち英語の会」のご紹介

アメリカに引っ越した頃の思い出

今日の記事は、おうち英語にあまり関係ない、アメリカ時代の思い出話です

ちょっと調べたいことがあり、mixi の昔の自分の日記を読み返していたら、すっかり懐かしくなったので、今日はその日記を公開します。

これは、マイミク限定で書いていて、書いたのは渡米して3か月目と、もう6年以上前のものですが、興味のある方はお付き合いください。


「夫の仕事の都合で海外に住むことになった妻」というと、あなたはどんな感想を持つだろうか? 

会社のお金で海外に住めるなんていいなあ。 
日本ではできないいろんな楽しいことが経験できそう。 
英語が上手くなるんだろうなぁ。 
子供がバイリンガルになるなんてうらやましい。 

ちょっとぐらいは大変だろうけど、断然、楽しいこと、良いことの方が多いんじゃないか、と、私も、友人知人が自分や配偶者の仕事で海外に行くと聞くと、すごくうらやましく思っていた。 
特に、我が家のように国内の引越しが多いと、どうせこんな苦労するんだったら、一回ぐらいは海外に引越ししたいよ、と思っていたものだ。 
それに、英語で仕事をしているのに、一度も海外に住んだことがない、というのが、ひそかなコンプレックスでもあったので、夫の海外赴任は、いつでもウェルカムの体制だった。 

そしてそれが現実になった今回のテキサス赴任。 
外国で暮らしたことが一度もないので、多少の不安はあったが、何と言っても、英語がしゃべれるから大丈夫だろう、と高を括っていて、国内の引越しと同じような感覚で、大した準備もしないまま、バタバタとここまでやってきた。 

そして始まったテキサスでの日々。 

夫は着いた翌日から仕事だが、私と子供達は行く所もなく取り残され…。 

買い物に行こうにも、「先日、ここで銃撃事件があった」とか、「スーパーで一瞬目を話した隙に誘拐されることとかよくある」などと聞かされると、おっかなくて、私だけで子供二人を連れて行く気にはなれず。 
売っている野菜も肉も缶詰も調味料も、何もかもが「これって何?どうやって使うの?」と、何を買っていいのか分からない。 
店によって微妙に支払いの方法が違って、おろおろする上に、レジでは必ず何か話しかけられ、今なら他愛もない決まり文句だと分かるのだけど、最初は「今何て言った?」「答え方はあれでよかったのか?」と考え込む。 
しかも、左ハンドル車で右側通行の運転はただでさえ難しいのに、車体がまたバカでかくて、駐車場に停めるだけでぐったり疲れる始末。 

さらに、アメリカでは、どこに行くにも車で(大体、歩いていける距離には、小学校と小さな公園しかない)、来た時期が猛暑の時期だったこともあり、外で遊んでいる子もおらず、とにかく外に人がいないので、近所の人と知り合う機会も皆無。 
それでも、子供達が退屈するので、どこか行かなきゃ、でも、一体どこに行けばいいんだ?と、しょうがないので、用もないのに毎日のようにモールに行っていた時期もあった。 

とにかく、近所づきあいは全くないし、日本のように引っ越してきたら市役所から山のようなお知らせをもらうこともないので、どこに何があるのか、どこで何をやっているのか、子供を学校に入れるにはどうすればいいか、ゴミはいつどこにどうやって出せばいいのか、何もかも、自分で調べてアクションを起こさない限り分からない。 

本当に最初は途方に暮れた。 

幸い、うちは前任者が住んでいた家を引き継いだので、家探しや引越しはいらず、電気ガス水道は契約書を書くだけで済んだし、車も夫の職場の方から手配をしてもらったのでまだ苦労は少なかったのだが、それでも、いちいち各事務所に家族で出向いて説明を受けて契約書を書き、携帯電話などはトラブル続きで「また来たのか」と言われるほどショップに通うハメになり、何かと神経が消耗した。 

そうこうする中で、子供達も、友達もいないのでだんだん退屈してきて、夕方になると喧嘩が絶えなかったり、また、長女は、英語が話せない(と本人は思い込んでいた)ので、学校生活への不安から、夜になると泣き出して止まらないこともあった。 

そんな風に、どんなに慣れない日々でも、1日3回、きっちり容赦なく腹がすくのが人間。 
しかも、日本にいた時とかなり近い食事を求める家族達。 
なのに、米も肉も野菜も水すらも日本とは違うので、日本と同じように調理すると「とても食べられたものじゃない」得体の知れない代物ができあがり、いろいろ工夫して「まぁ、これなら許せる」レベルに料理するのも一苦労。 
食事の支度は、(そもそも日本にいた時から苦痛だったので)今でも頭痛の種ではある。

まぁ、そのくらいのことは起きるだろう、と覚悟の上で、そのうち何でも上手く回り始めるだろう、ここしばらくの辛抱だ、とは思っていたが、渡米1ヶ月ぐらいは、本当に大変な時期だった。 
特に、子供に泣かれるのには本当に参った。 

〔2012年9月19日〕


我が家は、アメリカに行く前は沖縄に住んでいたのですが、沖縄に引っ越した時にも(日本語こそ通じたものの)文化がまったく違うので、最初はやはり戸惑いました。

でも、沖縄での「カルチャーショック」の経験があったので、アメリカに行った時には、そこまでショックを受けずに済みました。

また、もともと転勤族で、子連れで引っ越しするのに慣れていましたし、アメリカに行く時には子供達もある程度成長していたので、その点でも少しは楽でした。

おうち英語をやっていたので、子供達の英語の苦労がなかったのも大きかったですし、私も英語が話せたので、英語の話せない方よりは言葉の苦労は少なかったかもしれません、

それでも、引っ越しは(特に子連れで外国に行く場合)、言葉の苦労だけではなく、そして親だけでなく子供にも、いろんな苦労がありました。(もちろん、楽しかったこともそれ以上にたくさんありましたが)

おうち英語にはあまり関係のない、古い思い出話ですが、反響があれば、またアメリカでの苦労話の続きを載せたいと思います。

 


「おうち英語で子供をバイリンガルに育てたいけど、一人でできるかどうか不安」というお母さん(お父さん)のために「おうち英語の会」をやっています。興味のある方は、お気軽にお問い合わせください。


子供が無意識のうちに自然に英語をマスターし、バイリンガルに育つ「おうち英語」のやり方をお伝えする、10日間のメール講座です。