オンラインコミュニティ「おうち英語の会」のご紹介

私がおうち英語のブログを書く理由

バイリンさるのサラミ
今日はちょっと(というか長々と)自分語りをしてみます

このブログでは、ほとんど子供の英語のことしか書いていませんが、普段の私は、児童英語の専門家でもなく、むしろ大人の英語に関わる「通訳」や「英語コーチング」の仕事をしています。

 

通訳者になるまで

今はいわゆる英語を使った仕事をしている私ですが、もともと英語ができた訳ではなく、高校時代は「国文学者になりたい」と思っていて、大学の専攻は日本文学でした。

高校までの学校の「教科としての英語」は得意でしたが、共通一次の昭和の時代のこと、受験にリスニングもなく、完全に読み書き文法の「机上の空論」英語で、大学に入学して勉強しなくなったら、あっという間にできなくなりました。

(どうでもいいですが、2021年から大学入試の「センター試験」が「共通テスト」になったのに、つい「共通一次」と言ってしまい、そのたびに長女に冷ややかに訂正されています)

大学を卒業して、英語とは無縁の会社に就職し、24歳の時に会社の旅行でNYに行ったことがあるのですが、英語がしゃべれなかったので、少し英語のできる先輩の後についていき、その先輩を「カッコいいなー」と眺めていたのを覚えています(笑)

でもまあ、とにかく28歳の時に人生の紆余曲折を経て英語のやり直しを始め、途中、結婚と出産をはさんで、38歳の時に通訳学校に通い始め、43歳で通訳の仕事を始めました。

その当時のことは、日本会議通訳者協会のこの記事に書いています。

駆け出しのころ「出来心と前髪のない女神に導かれて」

(この記事は、コロナで業界に閑古鳥が鳴いた2020年の夏、日本会議通訳者協会が立ち上げた、暇なうちに「駆け出しのころ」を振り返ろう、という企画の一環でした。
普段仕事で知り合ってもなかなか聞くことのない通訳者仲間の昔の話が聞けて、私も読むのを楽しみにしていました)

 

通訳者にはなったけれど…

この記事に書いたような経緯で、40代から通訳の仕事を始めたのですが、帰国子女でもなく、留学経験もなかった私は、いつも自分の英語に自信がなく、やってもやっても上に上がれない苦しさを(今でも)感じながら、何とかここまで来ています。

通訳の仕事を始めて数年後、夫の仕事でアメリカに住むことになり、思いついて地元の大学の大学院に入ったのですが、そこでも英語のハンデがあって、とても苦労しました。
独身で若ければ、徹夜したりして乗り切ったのかもしれませんが、家族持ちでもあり、また徹夜なんかもうできない年齢でもあり、四苦八苦して2年間通いましたが、結局、修士号を取るところまでは至らずに帰国しました。
必要なクラスの履修は終わっていたので、指導教授からは「日本に帰っても修士論文を書いたら、修士号取れるよ」と言ってもらったのですが、帰国してまで英語で論文を書くエネルギーも情熱もなく、ここでも学問の追求は中途半端に終わり、学者への夢はあえなく潰えました。

 

それでも、通訳学校での勉強、通訳の仕事、そしてアメリカ暮らしと大学院の勉強を通じて、帰国した頃にはやっと少し自信を持って「英語できます」と言えるようになりましたが、通訳の仕事となるとまた話は別。

日本語と英語がしゃべれれば誰でも通訳者になれる訳ではなく、また、基礎的な通訳の訓練を受けたからと言って、どんな案件でも楽にこなせる訳でもありません。

新しい分野の仕事では、背景知識を仕入れ、業界用語を日本語と英語で覚え、仕事のたびに試験前の一夜漬けのような勉強が必要ですし、それ以前にトレーニングをし続けないとすぐに腕が錆びつく、通訳者とは、練習しないと勝てなくなるアスリートのようなものです。

そして、帰国後に住んだのが福岡で、地方には通訳の仕事自体が少なく、また、帰国子女となった子供達が日本の学校に馴染むのが最優先でもあったので、次女が小学校を卒業するまでは仕事を休み、5年ほどのブランクをはさんで、仕事に戻りました。

 

ブランクから復帰して感じたこと

アメリカに暮らして(大学院にも行き)英語そのものはうまくなりましたが、通訳訓練からはずっと遠ざかっていたので、一応仕事に復帰はしたものの、「もう通訳の仕事は来ないかも」と思っていました。
でも、だからと言って普通の(英語と関係ない)お勤めをする気にもなれず、ダメ元で、また一から通訳者としての営業活動をするかたわら始めたのが、英語コーチの仕事と、おうち英語のこのブログでした。

あれから2年余り。
意志あるところに道は開けるのか、あちこちに声をかけているうちに、また少しずつ通訳の仕事が入るようになり、英語コーチングの仕事も少しずつ増えてきました。

そんなこんなで、途中長いブランクはあったものの、気付いたら通訳者として仕事を始めてから、もう10年以上が経ちました。
その間、日本の国際化(?)は急激に進み、仕事で英語が必要になった人が激増した印象があります。

また、英語コーチングの仕事を通じて、「自分の人生に英語なんか要らないと思っていたのに、突然英語を勉強せざるをえなくなった」大人が、世の中には沢山いることも分かりました。

コーチとしてそういう方々の英語学習のお手伝いをしていると、昔の自分を思い出します。
立派な仕事をしているのに英語ができないだけで悔しい思いを余儀なくされている方に出会うと、アメリカの大学院時代に感じた悔しさを思い出します。

初めて日本を離れてアメリカに3年間住んで実感したのは、日本って(いろいろ問題もあるかもしれませんが)全体的に言えばとても良い国で、概して日本人は、秩序を守り礼儀正しく友好的で勤勉な、要は素晴らしい人が多いということです。

日本食や日本文化の良さは、それに気付いた外国人(など英語ができる人)が紹介してくれているので、今ではかなり世界に広まっていますが、普通の日本人が英語が苦手な人が多く、また、前に出たがらない国民性もあって、人としての日本人の良さはあまり広まっておらず、ただ「英語な下手な国民」と認識されていることも多いような気がします。
それを見ると、自分が馬鹿にされているようで、とても胸が痛みます。

 

私がおうち英語のブログを書く理由

私はもう自分の子育てがほとんど終わっているし、子供達もバイリンガルに育ったので、普段、おうち英語、英語育児、親子英語に関してのブログや情報をあまり見ません。

でも、たまに目にすることがあると、そこには「素晴らしい成果」を出しているお子さん達がたくさんいます。

でも、成果が見えない中でも、将来この子のためになれば、と英語環境を与え続けているご家庭もたくさんあり、かつては私がそんな母親でした。

 

私が幼い娘達に英語育児をしていた当時、情報収集のために英語育児ブログを読むと、「DWEのイベントに行きました!」「TEで〇〇先生と話せました!」などと、キラキラした記事を目にすることがよくありました。

そりゃそうです。
「今日もかけ流しやりました。でも、子供には全然変化ありません」なんてブログをわざわざ毎日書き続ける人はそうそういません。
そんなことは、よほど英語育児にかける意志が強くなければ、なかなかできるものではありません。

当時の我が家は、夫は仕事が忙しくて平日は子供の起きている時間に家にいた試しはなく、ワンオペの私は家事育児の合間に(自分の)英語の勉強、通訳学校の宿題をやるのに必死で、英語育児と言っても、かけ流しボタンを押して、英語のビデオを見せるだけの日々。

夜は絵本の読み聞かせをしましたが、「親子で英語の絵本を楽しむ」というより、義務感だけでやっていて、優しそうな作り声の裏では、内心「早く寝てくれ、こっちは(通訳学校の)宿題をしたいんだ」と思っていました(笑)

幸いうちは歳の近い姉妹だったので、2人で勝手に英語遊びをすることもありましたが、上の子が小学校に入ってからは、家で英語をしゃべることもなくなり、毎朝淡々と(パルキッズジュニアの)音読をさせるだけで、アウトプットもなくなっていました。

子供の英語がどうなっているのか知りたくて、小1の夏に長女をサマーキャンプに入れてみたところ、英語を話せなくてしょげかえるという事件もありました。(→ 長女が小1でインターナショナルのサマースクールに入った時のこと

しかし、その頃から私は仕事を始めて、駆け出しの通訳キャリアのことしか頭になく、おうち英語どころではなくなっていました。

ただ、うちでは日本語のテレビも少しは(いないないばあとか、おかあさんといっしょとか、ピタゴラスイッチとか、アンパンマンとかプリキュアとか)見せていましたが、それ以外は英語のビデオしか見せなかったので、引き続き、子供達は英語のビデオを喜んで見ていました。
それに、英語の絵本も読んで欲しがったので、子供の英語に関しては、それが安心材料ではありました。

また、当時から英語育児をやっている親御さん達が集まるオンライン上の掲示板があり、そこで情報収集したり、悩みを相談したりしていました。
あの掲示板があったからこそ続けてこられた英語育児だったので、同じような場所を提供したいと思って始めたのが「おうち英語の会」です。(「おうち英語の会」のご紹介

幸い、我が家はその後、アメリカに行く機会があり、そこで子供がぺらぺらと英語をしゃべり出し、学校の教科書もすらすら読めて、アメリカの小学校でまったく苦労がなかったという経験をすることになり、おうち英語の成果を目の当たりにすることができました。

また、アメリカの現地校で導いていただいたおかげで、私が大して悩まないうちに洋書も読むようになりましたが、(現地校での読書とその後・我が家の場合)あのまま日本にいたら、洋書も読むようになっていたかどうかは分かりません。

 

アメリカに行ってアメリカでも子育てをし、また日本に戻ってきて日本での子育てに戻った今、思うのは、日本の素晴らしさというのは、イチロー選手や大阪なおみ選手や山中伸弥教授や村上春樹氏のような「ニュースになるような華やかな成果」のある人だけでなく、日々自分の持ち場で自分の仕事をきちんとこなす市井の人々によって築かれている、ということです。

それと同じように、おうち英語も、わざわざ発信するような成果はないけれど、細々と家に英語環境を作り出す家庭が増えることで、10年後、20年後には、英語の得意な若者が日本を(そして多分世界を)草の根から変えてくれるのではないか、と思うようになり、このブログを書き始めました。

 

おうち英語で育てば、子供は誰でも英語を習得する

私は、娘達を英語育児で育てた経験から、言葉を習得するのは人間の本能で、幼い頃に環境の中に英語があれば、その時すぐに表には現れなくても、子供は必ず英語を(日本語と同時に)吸収して、必要な時がくればそれが表に出てくる、と確信しています。

そして、自分自身が英語学習者として少しは英語ができるようになった経験から、大人でも時間さえかけて努力すれば、必ず英語はできるようになると、それも確信しています。

でも、そうは言っても、英語の音をほとんど聞かずに中学から英語を勉強し始めると、大人になって英語のやり直しを始めてからどんなに苦労するか、自分の経験からも分かっていますし、コーチングの生徒さんを見ていても強く感じます。

大人の英語は、このように並々ならぬ覚悟と努力が必要ですが、子供の英語は、とにかく環境さえ整えれば失敗はありません
それをお伝えすることで、「私もやってみたい」という方が後に続き、自分でも知らないうちに、日本語と同じように英語も分かるようになっていた、という子がどんどん増えて欲しいと思っています。

 

巷で目立つスーパーキッズのように育てるのも素晴らしいことですが、そこまでできないご家庭も多いと思います。

と言うか、少なくとも、私には無理でした。

でも、かけ流しぐらいは、私にもできました!
英語のビデオを見せるぐらいは、私にもできました!
夜の読み聞かせだけは、頑張ってやりました!(今は、親の代わりに読み聞かせしてくれる便利なデジタル教材がいくつもあります)
小学校に入ったら、1日10分ほど英語の勉強はさせました!(子供は嫌がっていましたが、そこは無理やりやらせました)← これは少し反省しています。

これらのことができたのは、学者になりたかったぐらいなので、興味のあることを調べるのはそこまで苦ではなく、「子供をバイリンガルに育てる方法」をいろいろ調べて「これで大丈夫!」と思えていたことと、あとは、自分の英語コンプレックスからくる執念のおかげだったと思いますが、とにかく、日本にいた時にはどこまで英語が伸びているか分からなかった子供達は、表に出ないところで英語力を育んでいて、10歳でアメリカに行った時には、長女はネイティブの小学5年生レベルの英語を(そして7歳の次女は小1レベルの英語を)身につけていたのです!

私はあんなに勉強しても、アメリカの幼稚園児よりも英語が苦手なのに!

子供って本当にすごいな、と思います。

 

それは、うちの子だけでなく、「おうち英語の会」のどのお子さんでも、お話を聞かせていただくと、与えた分だけしっかり英語が身についているのが(おうちの方には分からなくても、私には)分かります。

そして、個別相談や座談会でいろんなご相談をいただくたびに、親の愛って偉大だな、こんなに愛情かけて育ててもらって、この子達は幸せだな、と感動します。

 

百万人のおうち英語

今年(2020年)は新型コロナの影響で、飲食業界や旅行業界ほどは目立ちませんが、通訳業界も案件が激減し、大打撃を受けました。

おかげで私の仕事も、通訳はの方はさっぱりで(笑)、今年は出張も一件も入らず、飛行機にも一度も乗っていませんが、その代わり、通訳でもコーチングでもオンラインで完結する仕事がとても増えました。

また、「おうち英語の会」のSlackや座談会も最近にぎわっていて、おかげで、家に閉じこもる日が続いてもなんだか楽しい毎日で、会員の皆さんには本当に感謝しています。

「おうち英語の会」の会員さん達の中には、素晴らしい成果を上げている方もいらっしゃいますが、「かけ流しがやっとです」という方も多く、そういう方達には「うちもそうでした、でもそれで大丈夫なんですよー」ということを、私の経験を踏まえてお伝えしています。

 

昔「百万人の英語」というラジオ番組がありました。

当時、九州の田舎に住んでいた私の家にはその電波は届かず(朝鮮半島からの韓国語のラジオは入っていたのですが 笑)「どんな番組かなー、聞いてみたいなー」と思っていた記憶があります。

ですが、外国人なんか見たこともない、春には田植え、秋には稲刈りを親戚一同総出でやるような子供時代を送った私には、「英語の世界」なんて自分とは縁のない、どこか遠い世界でした。
(そして、高校時代は国文学者になるはずでした笑)

それが、こんなことをしているなんて、世の中どう転ぶか分かりませんね。

 

私は今「百万人のおうち英語」というつもりでこのブログを書いています。

普通の家庭でバイリンガルに」という記事も書いたことがありますが、我が家は、家に英語環境を作り出していた以外は、わりと普通の日本人家庭のつもりです。
(そんなに引越しする家はない、とか、中学生を夜9時に寝せてる家はない、とか、そういうのはあるかもしれませんが)

教育に関しては、どこに引っ越しても地元の(公立の)学校で、ピアノやお習字などの習い事をのんびりやるだけで、その土地その学校に合わせてきました。

子供達は、確かに帰国子女ではありますが、帰国後も学校の英語の授業を受ける以外は、家の中で英語のビデオを見たり、洋楽を聞いたり、洋書を読む程度で、今やオンラインの英会話レッスンすら受けさせていません。(本人が受けたいと言えば、私は毎日でも受けさせたいのですが 笑)

会話力はすっかり錆び付いている娘達ですが、それでも、おうち英語で英語を第二の母国語として育った子供達のことを、私は自信を持って「バイリンガルの娘達」と言えます。

彼女達の英語は、私が必死に勉強して身につけてきた英語とは全然違うのです。(英語ができる日本人・できない日本人

 

私が提唱している「おうち英語」は、家の中に英語環境を作り出すだけで、小さいお子さんがぺらぺら英語を話したり、英検に合格するのが目的ではありません。

ですが、無理なく長く続けることで、本物の「バイリンガル」に育って欲しい、と思い、そのためのやり方やコツをお伝えしています。

縁あってこのブログを読みに来ていただいて、「これで良かったんだ!」「これならできる!」「これなら続けられる!」と思う保護者が増えて、日本にも「百万人のおうち英語」が広がることを願って、これからもブログを書き続きていきたいと思っています。

 


「おうち英語で子供をバイリンガルに育てたいけど、一人でできるかどうか不安」というお母さん(お父さん)のために「おうち英語の会」をやっています。興味のある方は、お気軽にお問い合わせください。


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