オンラインコミュニティ「おうち英語の会」のご紹介

どうして子供に英語なんかやらせてるのか?

バイリンさるのサラミ
私達、どうして子供に英語なんかやらせてるの?

「おうち英語の会」では、毎月だいたい2回、平日の午前中と土曜日の夜に座談会を行っています。

昨日は、午前中の座談会だったのですが、そこで参加者から面白いご質問が出ました。


おうち英語を成り行きで何となく始めたのですが、時々「あれ、私、何のためにこの子におうち英語やってるのかな?」と疑問に思うことがあり、そうするとモチベーションも続かなくなりそうです。

皆さんは、何のために、何を目指して、おうち英語をやってますか?


バイリンさるのサラミ
素晴らしいご質問ですね!!

これについて、参加者の方々からいろんなご意見が出ていたのですが、私(ちえみ)も、何のために、何を目指して、おうち英語をやっているのか、ちょっと考えてみました。

 

英語の勉強はもう要らなくなるかもしれない

今年の初めに「2021 謹賀新年:本当に英語が必要ですか?」という記事を書きました。

ここにも書いたように、私は、意外と近い将来、AIの自動翻訳の性能が良くなって、英語ができなくても困らない時代が来るんじゃないかと思っています。

そうなると、英語を勉強する必要も、英語ができることの優位性も、どんどんなくなっていくと思っています。

自動通訳機で何でも瞬時に通訳してもらえる時代が来るのが、10年後か20年後か30年後かは分かりませんが、うちの娘達が生きているうちに、必ずその日は来ると思います。

それでも、私は、自分の子供が「英語ができない」なんてあり得ない、と思っています。

それは、私自身が、現在の社会で「英語ができる」人の世界と「英語ができない」人の世界の両方を、身をもって経験しているからかもしれません。

 

英語ができない世界と英語ができる世界

今は通訳者として仕事ができるぐらいにはなった私ですが、28歳で英語のやり直しを始めるまでは、全然英語がしゃべれませんでしたし、誰かが英語をしゃべっていても理解できませんでした。

その後、長い時間をかけて、一応英語ができるようになったのですが、生粋の「バイリンガル」とは言い難く、私の英語は「外国人が頑張って勉強して身につけた英語」で、決して「ネイティブと同じ」なんかではありません。

 

そんなレベルでも、そして私のような庶民でも、英語ができるようになると、英語ができなかった頃とは、全然世界が違います。

別に、英語を直接仕事に生かしたりしなくても、英語ができるだけで、発想も行動も「日本に限定されずに済む」のです。

 

英語ができなかった頃の私も、海外旅行に出かけることがありましたが、その時は、英語ができる人の後ろにくっついて「英語ができたら楽しいだろうなー」と思っていました。

片言の英語で、あるいは通訳者を介して、会話をすることもありましたが、どこか「直接つながれない」もどかしさがありました。

また、私は読書が好きですが、英語ができなかった頃に読む本は、(当たり前ですが)日本語の本ばかりでした。

洋画や洋楽も聞きましたが、洋画は字幕頼りでしたし、洋楽は歌詞の意味は分からずに、メロディや編曲で「これ好き」などと楽しんでいました。

 

その後、英語ができるようになると、洋書を読んだり、字幕無しで映画やドラマを見たりできるようになりました。

おかげで、夫の仕事でアメリカに住んでいた時は、映画を見に行ったり(アメリカは映画が安い!)、さらには「時間ができたから大学院にでも行こうかな」ということになりました。

また、外国人と会話する時は、たとえ非英語ネイティブ同士でも、英語で「1対1」で直接付き合えるようになりました。

別にアメリカに住むことはなくても、日本にいる外国人と知り合う機会も増えますし、海外旅行も、全てを自分で手配できますし、日本語のツアーを探し回らなくて済むようになります。

字幕つきの映画を見ていても、字数制限のある日本語の字幕では分からないニュアンスが分かりますし、昔聞いていた洋楽を改めて聞いて「へぇー、こんな意味だったんだ」と新鮮に感じたりします。

 

ですから、日本に住んでいて、普段は英語を使うことなんか全然なくても、私の感覚では「いざと言う時、自分の子供が英語がしゃべれないなんてあり得ない」と思ってしまいます。

別にネイティブと同じようにしゃべれなくても良いのですが、少なくとも、私ができるぐらいには、外国人がいたら普通に英語で会話ができて、英語の番組もほぼ理解できて、英語の本や記事もまあ読める、ぐらいにはしておきたい、と思っています。

英語のできる日本人で「子供は別に英語ができなくても良い」と思っている人は少ないのではないでしょうか?

 

「英語ができること」は「字が読めること」に似ている?

私の感覚では、現代では、「英語ができる」と「英語ができない」人の世界は、例えて言えば「字が読めない」人と「字が読める」人ぐらい違います。

日本は昔から識字率が高いですが、それでも、昔は今より字が読めない人が多くいたはずです。
(ましてや世界では、昔は字が読めない人の方が多かったはずです)

字が読めなくても、生きていくことはできます。

だから、字が読めない親は「自分も読めなくても生きてこられたから、子供もそんなに苦労して字を読めるようにならなくても良い」と思うかもしれません。

でも、字が読める人は、「世の中、字なんか読めなくても生きてはいけるから、自分の子供も字なんか読めなくても良い」とは思いませんよね。

現代社会における、私の英語に対する感覚は、これに近い気がします。

 

文字の読み書きも、やがて AI の読み上げ機能や音声入力が発達して、自分で読み書きできなくても済むようになるのかもしれません。(その時、文字教育がどうなるのかは、ちょっと興味深いところです。)

 

苦労して英語を勉強する必要はなくなるかもしれないけど…

いずれにしろ、加速度的な技術の進歩に伴って、この先、英語ができることの優位性はどんどんなくなると思います。

そうなると、今のように「やりたくもないのに英語の勉強をやらされる」必要はなくなってくると思います。

そんな時代が来そうなのに、子供時代に英語に力を入れ過ぎて、他の大事なことが犠牲になるのは、よくないのではないか、というのは私の危惧するところです。

また、AIが進化するから英語は丸っきりいらない、と考えている訳でもなく、「世界の共通語」である英語は身につけておいた方が良い、という考えは変わりません。

 

幸い、子供は「言語習得の天才」ですから、「音を流しておく」「英語の番組を見せる」ぐらいは、しておいてもいいんじゃないか?

あと「各家庭で無理なくできるプラスアルファ」程度の環境を与えるぐらいは、しておいてもいいんじゃないか?

 

そんな思いで、私は今日もせっせとブログを書いています。


「おうち英語で子供をバイリンガルに育てたいけど、一人でできるかどうか不安」というお母さん(お父さん)のために「おうち英語の会」をやっています。興味のある方は、お気軽にお問い合わせください。


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