昨日は、〆切りの仕事が二つ重なって、私自身が「もう英語なんか大嫌い!」となっていましたが、無事に終わらせ、今日は穏やかな気持ちで英語と向き合っています(笑)
◆
おうち英語でバイリンガルに育った娘達は「英語キライ」なんて平気で言いますが、私自身は、英語を習い始めた中学の頃から、勉強としての英語はずっと好きで、教科としての英語も得意でした。
ですが、当時は授業でも試験でも「リスニング」などはなかった時代。
まだALTもいなかった時代で、中学の英語の先生はバリバリのカタカナ発音。
「音」無しで「自我」で必死に勉強して点数を取っていた英語なので、大学受験が終わり、勉強することがなくなったら、あっと言う間にできなくなりました。
(そこが、「無意識で習得」したので勉強しなくても英語の成績の良い娘達との違いなのでしょう)
九州の田舎育ちですので、高校生になるまで生きて動いてる外国人なんて見たこともなく、それどころか、日本語の標準語ですら、大学進学のために上京した時に初めてしゃべったのですが、最初の頃は、標準語をしゃべっている自分が照れくさいというか、こそばゆい感じがして、なかなか慣れませんでした。
今思えば、それは標準語を「自我」で捉えていた感覚なのでしょうが(笑)、周りで誰もしゃべっているのを聞いたこともなかった標準語なのに、東京に行ったら自然と話せるようになりました。
生まれた時から標準語を話してる人からすると「コイツは一体何を言ってるんだ!?」と思われるかもしれませんが、私にとっては、「私、標準語しゃべれる!?」というのは、ちょっとした驚きでした(笑)
だって、それまでの私は、同じ日本語とは言え、本州生まれの夫に言わせると「半分ぐらいしか理解できない、英語の方がよっぽど分かる」というような言葉しか、聞いたことも話したこともなかったのです。
もちろん、テレビで標準語をしゃべっている人たちは見たことがあり、テレビから毎日聞いてもいました。
なので、誰に教わるでもなく、東京に行ったら(こそばゆい感じはしたものの)自然に話せるようになりました。
東京ではよく「全然、方言(訛り)出ないね」と言われましたが、言葉も、少し違うぐらいなら、却って訛りが出てしまうのかもしれませんが、あまりに違い過ぎるせいか、私の中では「標準語モード」と「方言モード」が混じることはなく、相手によって一瞬で切り替わります。
学生時代はよく「九州出身? じゃあ、ちょっと方言しゃべってみてよ」と言われたのですが、相手もいないのに一人で九州弁なんかしゃべれません。
なので、子供達が日本で「帰国子女? じゃあ、ちょっと英語しゃべってみてよ」と言われても、相手もいないのにしゃべれない、というのは、よく理解できます。
逆に、実家に帰って久しぶりに従妹などに会うと「どうしてそんなにすぐに九州弁に戻れるの?」と驚かれるぐらい、普段使わなくなった今でも、流暢な九州弁をしゃべれます(笑)
うちの子供達は、里帰り出産だったのでこの実家で生まれ、小さい頃は長期休みのたびに実家に帰っていたので、私が家族と、この九州弁を話すのをよく聞いていました。
でも、自分達で話すことはできません。
(聞いて理解するのも、多分100%は理解できてないと思います)
英語はできても、九州弁は(同じ日本語なのに)できません。
言葉の習得って、本当に不思議だな、と思います。
◆
日本全国から方言が消え去りつつあるのは寂しいと思いながら、自分の子供も、英語はしゃべれても方言はしゃべれない人間に育ててしまったのには、忸怩たる思いがないでもありません。
ですが、時代の流れとして、どうしようもなかった、と思うことにしています。
昨日は「英語キライ」なんて記事を書きましたが、私は英語が好きという話を書こうと思ったのに、すっかり話がそれてしまいました。
でも、おうち英語は(子供はともかく)私自身は、楽しんでやってきました(笑)
今、小さい子供を育てているお母さん(お父さん)も、是非、(子供はともかく)ご自分は、おうち英語を楽しんでいただきたいと思います。
(最後は無理矢理こじつけました 笑)
☆ ――――――――――――――― ☆ ――――――――――――――― ☆
「おうち英語で子供をバイリンガルに育てたいけど、一人でできるかどうか不安」というお母さん(お父さん)のために「おうち英語の会」をやっています。興味のある方は、お気軽にお問い合わせください。